このブログは10日おき(5、15、25)の更新です。
このブログでは、居住性や好みの問題、個人的な事情を度外視し、原則として資産性の観点から自論・「マンションの資産価値論」を展開しております。
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マンション選びで失敗したくないからと勉強するのは大切なことですが、勉強すれば勉強するほど理想が高くなってしまい、現実に買えるマンションとの距離が遠くなってしまうという人があります。第3部は、そんなときの考え方について触れることにします。
買いたくても買えない事情は誰にでもある
マンション選びの際、誰でも最初に思いつくのは通勤に便利かどうかや、住み慣れた街であることなど、場所選びです。次には、今の家(賃貸マンションなど)より広い家、新しい家、設備の良い家などです。そこには人間の持つ上昇志向のようなものが働くためでしょうか、ワンランク上の住まいをイメージするものです。
しかし、どのような家を望むにしても、予算と価格のすり合わせを無視することはできません。
「会社まで30分で行けて、駅からは徒歩5分以内、広さは70㎡以上の3LDK、南向きで10階以上の見晴らしがよい住まい、できたら角部屋がいいな」などと思い描いてみても、予算をはるかに超える分譲価格だったら購入することはできません。
100㎡の広さ、山手線の内側、アドレスは港区か渋谷区、タワーマンションの上層階にあって、ブランドマンション。このようなマンションとなると、軽く2億円を超えてしまうのが現実です。
それを知ったあとでは、このような条件はあっさり諦めて、もう少し現実的な条件を策定するはずです。今の時代は、インターネット検索で速やかに候補探しができるので、条件をいくつか入力してみます。そこから、どのような物件が買えそうか、たちどころに分かります。
駅の近くは高くて手が出ないと知る人もあります。駅に近くて広さも一定以上にこだわると、希望の沿線では通勤時間が問題だと、落胆する人もあります。
特定の市区にこだわったら、バス便になってしまう。環境は良いのだが、「バスは利用したくないしなあ」と悩む人もあることでしょう。
また、大型マンションは好きになれないからと、こじんまりした物件ばかりを探しているが、駅近ではビルの谷間のようなところのペンシルのような細身の外観を好きになれなかったり、駅から10分くらいの閑静で緑濃い雰囲気の住宅街の中に見つけたマンションは、高さの制限があるためか天井高が低くてがっかりしたりと、中々良い物件に巡り合えないと悩む人がいます。
ようやく理想に近い物件を見つけたと思い、喜び勇んでモデルルームに駆けつけたが、予算的に届く部屋は、風通しと日当たりが悪い半地下住戸だったと落胆させられる人もあるのです。
また、予算も問題なく、話題になった大型タワーマンションに一目ぼれして申し込んだが抽選に外れること数回という人も少なくありません。
更に、狭い社宅を出たい願望が強いものの、いつ転勤命令が出るか読めないので、買いたくても中々踏み切れないという人もあります。
このように、百人百様の事情や条件、そして好みの違いなどがあるため、「これだ」と思える家に辿り着くのは簡単ではありません。 言い換えると、多くの買い手が理想と現実のはざまで葛藤するのです。
資産価値より大事な条件
マンション選びの際に多くの買い手が気にかけるのは、資産価値の高さです。言い換えると、購入してから何年か経って売りたいというとき、高く売れるかどうかという視点を持っていることを意味します。リセール価値は大事なマンション選びの条件です。いつなんどき、売却の必要が生じるか分からないからです。
そのとき、できるだけスムーズに、少しでも高く売りたいと考えるのが普通の感覚であり人情というものです。古くなったマンションが値上がりするなど、初めから考えていないとの反論もあるかもしれませんが、少しでも価値の保存ができる物件を望まない人はいません。
資産価値は重視せず、自分にとって優先条件を満たす物件だから決めたという人がいます。これは個人の自由ですから、他人がとやかく言うべき問題ではありません。しかし、優先条件それ自体が、どれほど重要なものなのか、ここをよく考えてみる必要があるように思います。
経済合理性に優先する条件もある
「建築には人を変え、人を豊かにする力がある」・・・この言葉は、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組の中で、ある建築家が語った名言です。注文建築で家を建てる注文者と設計者との交換から紡ぎ出された「こだわりの家」は、住まう家族を幸せにする側面が確かにあるようです。番組から、親子関係、嫁姑の関係、祖父母と孫の関係、子供の教育の関係などを「豊かに変化させる」とでも表現すればいいでしょうか、視聴した筆者は、そんな建築の役割を感じたものでした。
マンションの購入でも、同じようなことが言えるように思います。例えば、「スープの冷めない距離にあるから」、「親が今は元気だけれど、もうかなりの高齢なので側にいてあげたい」――このような動機から選択する人があります。
これらは、他のどんな条件より優先すると言ってよいかもしれません。
一般に、選択条件には下記のようなものがありますが、こうした動機で選択した物件は、経済合理性に反する場合もあることでしょう。
◆子供に転校させなくて良いから
◆通学距離が長くて可哀相だから
◆住み慣れた好きな場所だから
◆友達と離れたくないから
◆小規模マンションが好きだから
◆人気の駅だから
◆ステイタスを感じる場所だから
◆住んでみたい憧れの場所だから
◆売主や施工会社が信頼できるから
◆維持管理が期待できるから
◆自然環境が素晴らしいから
◆部屋が広いから
◆購入予算が少なくて済むから
◆管理費等が安いから
◆どうせ長く住むつもりがないから
これらの選択条件は、複数が絡み合って選択されるはずです。しかし、その優先順位には「ちょっと待って」と言いたくなるケースが見られます。しかい、他人の筆者がそう思っても、買い手にとっては優先する条件なのでしょう。その選択は間違い、とは誰も言いきれないのかもしれません。
人生観や価値観には個人差がある
マンションに理想のものは存在しません。どこかを妥協して選択することになるものです。問題は、どの部分を条件から外してはならないかという点です。その視点から見れば、疑問に感じる選択をしてしまう人が少なくありません。「それでも構わない、この土地・街が好きだからここに住みたい」という人もあるでしょうし、管理費と修繕費の高さも、その人の金銭感覚や価値観によっては高くないという場合もあるのです。
品質は悪くないが値段は驚異的な安さのユニクロ製品を買わず、1着何万円もするブランド服しか目に入らない人も少なくありません。国産車より高級外車を選択する人もたくさんいます。
これらと同じで、好きな物は高くても高いとは思わないのが「価値観」ではないでしょうか? 人間は経済合理性だけでは行動を決めないものです。
結局、何を基準にして選ぶかは人それぞれなのです。
好き嫌いの問題もある
百点満点のマンションは存在しませんから、部分的に妥協するというスタンスが必須です。ただ、他人が何と言おうと嫌なものは嫌という「好き嫌い」は、妥協できない問題でもあります。ある人は、建物の外観が「何となく昔の公団住宅みたい」と言って、予算的にも問題はないのに、1億円の高級マンションを買わなかった人があります。
設備・仕様もハイグレードなマンション、環境も良く利便性も高い建設地、文句なしの物件と言えなくもないのですが、外観デザインに工夫が足りないというか、センスがないなという印象は筆者も同感でした。
要するに、その人にとって「恰好の良い」マンションであることが重要な問題で、機能や利便性、品質レベルは高くても、色・テイストが好きでないから「欲しい」という気になれなかったということなのです。
販売員は、設備や仕上げ材の高級感を、また場所の稀少性を懸命に訴えたかもしれません。しかし、現住居が築10年未満の分譲マンションであったことや、モデルルームを何件も見て歩いたという情報から推測すると、おそらく目の肥えた人なのでしょう。また、住まいはステイタスシンボルとしという考えが前提にあったのかもしれません。販売員の説得に耳を貸さなかったのです。
生い立ちや交友関係、育った環境などが影響している可能性もあり、他人には分からない世界です。適当な言葉が浮かんで来ないので少し飛躍するかもしれませんが、「蓼(たで)食う虫も好き好き」という格言があるように、他人では量れないのが好き嫌いの問題です。
駅近にあり将来のリセールバリューが高い物件になりそうと分かっていても、商店街の一角に立つようなマンションは嫌いだという人がいます。反対に、小規模で管理費が高い、駅からも距離がある、けれども区画の大きい一戸建てが並ぶ住宅地の一角に建っているから好きという人もいます。
300戸を超えるようなメガマンションやタワーは絶対いやだ、買うなら30戸以下のこじんまりした低層マンションが好きという人もいます。
また、三菱や三井の物件しか検討しない、盲心的なファンも少なくありません。
その選択の仕方は問題あり、そのマンションだけは止めた方がいいという感じるケースは筆者へのご相談者の中にも多数あります。 筆者は忖度(そんたく)せずに「高額・高級物件だが、物足りない」などと率直に所見を述べていますが、いつもこれで良かったのだろうかと回答(レポート)を送付した後も自問自答しています。
人それぞれの考え方を何も知らない赤の他人の筆者が、所見を書き連ねてご相談者の進む道を左右しようなんて、何と傲岸な所作であろうか。そんな反省もあります。しかし、その所見が役に立つこともあるだろう。そう信じて続けようと思い直すのです。