「それじゃなんですか、湾岸購入者って、家に浪漫は考えないンですか」
目の前の男は水煙草を吹かしつつそう言った。
湾岸を買う人が想像できないので、少し教えて欲しい。そういう理由から囲炉裏を囲むことになった。僕は、質問に対してなるべく丁寧に東京湾岸の典型的な購入者イメージを喋っていたが、いつしか自分のことを湾岸住民全員がそうであるかのように喋っていたのかもしれない。
「たしかに浪漫はないのかもしれません。家を買う理由っていくつかあると思うんですが、どこまでも理性的な人が多いですよね。」
「そうなると、ぜんぜんわかんないね。今までの客と違いすぎる。喩えれば、新幹線の指定席を買うような感じですか」
大きな手をひらひらさせながら、そんな風に呟いた。
僕が彼に話した東京湾岸の典型的な購入者イメージをまとめると以下のような感じだ。
・家を買うといっても、耐久消費財ではなく資産防衛の一種である
・価格に対して過剰なまでに敏感である
・湾岸タワマンは1棟あたり数百~千戸規模で同立地の同仕様。フォーマット化されていて中古成約も多い、価格事例も豊富で調べられる
・なにより住民自身が自分の住戸の相場をある程度把握している
・これは購入者側も同じである。よって、相場ラインより高い住戸はよっぽどの理由が無いと買い手が付きにくい
囲炉裏の向こうの側は再販業者だった。再販とは、いまある住戸を買い取ってリフォームして利益を載せて販売する。買取から販売まで数ヶ月かかるときもあり、資金は手持ちのキャッシュではなく融資ベースで金利も乗っている。だから数%ではなくもっと高い鞘を見つけなければならない。目利き勝負のところはある。
目利きとは、言い換えれば価格のミスプライシングを見つけることだ。ダイヤの原石を市場から見つけ、自分なりの磨きをかけてこれだと思う価格をつけて販売する。磨き方、リフォームの予算配分や素材選定などにもセンスが問われる。難しい仕事なのだ。
しかし、東京湾岸だとこのミスプライシング物件がなかなか出てこない。買い手側も高い鞘が乗った物件はいくらキレイなリフォームされても検討から弾かれてしまい見学が少ない。だから難しい。
いいか、不動産の営業はな、臨場感が全てだ。 一世一代の買い物が素面で買えるか、 臨場感を演出できない奴は絶対に売れない。 客の気分を盛り上げてぶっ殺せ。 いいな、臨場感だ、テンションだっ、臨場感を演出しろっ
狭小邸宅/新庄耕
昔も今も、家は浪漫の塊であり、購入者にはその物件が光り輝いてなければならない。光り輝いて見える人はたった一人でいい。その一人を探す。いや、トークで光り輝かせて見せる。いままでそういう世界だったのだが、突如としてそれが通じない世界が東京湾岸のタワーマンションにできてしまった。
「わからないですね~ほんとうに。下手に手を出したらヤケドするね。」
面白いことに、湾岸タワーマンションの作り手・売り手側はそう考えて作っていない。光り輝く夜景。ライティングされたプール。特別感を演出するエスカレーター。そういった世界が作られているし、外からは煌びやかなイメージで語られる。だからタワマンカーストをテーマにしたドラマもできる。
でも中に住んでいる人達は、家を耐久消費財として見ない人たちが多数である。そのギャップが面白くも哀しい。僕にその一因があるのだとしたら、いずれ僕は再販業者達から地獄に引きずり落とされるのであろう。
P.S.
家に浪漫を求める層は湾岸にも存在する。ただ、そういった層は8000万円以上の価格が付く住戸ではないだろうか。つまり、購入者は普通の共働きリーマンとは一つ上の層だ。ここについては価格相場というものはなく、大きく上下する世界である。浪漫がものをいうのだ。
過剰に過敏